97歳 輝く現役看護師 手際良く 優しい声掛け 津の池田さん、若い同僚の励みに

2022年1月20日 10時15分

寝たきりの女性に胃ろうの栄養剤を注入する池田きぬさん=津市で

 九十七歳で、現役の看護師として働いている女性がいる。津市の池田きぬさん。医療行為が必要な高齢者らが暮らす施設で、体温や血圧測定、チューブで胃に直接栄養を送る「胃ろう」の処置などをてきぱきとこなす。ハードな仕事で離職者も多い看護師。誇りを持って働く池田さんの姿は、若い人の励みにもなっている。 (細川暁子)
 胃ろうに栄養剤を注入しながら、池田さんが寝たきりの女性(78)に声をかける。「なんともない? 喉渇いてない?」。うなずく女性に、池田さんがほほ笑み返す。昨年末、津市のサービス付き高齢者向け住宅「いちしの里」での光景だ。
 同市出身の池田さんは一九四一年に女学校を卒業後、看護学校に進学。父は生後まもなく亡くなり、母は養蚕の仕事をして五人姉妹を育てた。末っ子だった池田さんが看護師を志したのは「女性が自立して生きるためには、資格が重要」と思ったからだ。
 太平洋戦争中は、看護要員として神奈川県内の療養所に召集され、傷病兵らの手当てをした。終戦後、地元に戻り結婚。子ども二人を育てながら看護師の仕事を続け、五十代の時に三カ所の病院で総婦長を務めた。六十代では介護施設の責任者となり、七十五歳の時に三重県内最高齢でケアマネジャーの資格も取得。その翌年に夫をがんで亡くし、今は一人暮らしだ。
 いちしの里で働き始めたのは二〇一二年、八十八歳の時。八十三歳で介護施設を退職後も別の施設でパートをしていたが、「もう少し看護師として働きたい」と求人情報を見て応募した。いちしの里の運営会社社長、浅野信二さん(46)は「驚いたが、池田さんのキャリアと謙虚さにひかれ、働いてもらうことにした」。池田さんは六十代の時に国の叙勲も受けているが、浅野さんは「面接で全く言わなかった。偉ぶることがない」と話す。
 この施設には現在、六十代から百三歳までの約五十人が入居。うち半数は医療行為が必要で、二十四時間看護師が常駐している。ただ、「開設当初は看護師が集まらなかった」と浅野さん。業界で名の知れた池田さんが働き始めると、応募者が増えたという。
 池田さんは多い時は週五日働いていたが、最近は膝の痛みがあるため無理をせず、近くに住む親戚に車で送迎してもらいながら月一〜二回、半日の勤務だ。体温や血圧測定、食事の介助、胃ろうのほか、知的障害や認知症のある人と一緒に計算問題をすることもある。
 同僚の看護師、橋爪明香さん(33)は「池田さんは手際が良く、患者への声掛けも包み込むように優しい」と尊敬のまなざしを向ける。日本看護協会の病院看護実態調査によると、一九年度の正規雇用看護職員の離職率は11・5%。夜勤などがある看護職は育児との両立も大変だが、二児の母である橋爪さんは「子育て中も仕事を続けてきた池田さんに勇気づけられる」。

池田さんの著書「死ぬまで、働く。」

 池田さんは昨年十一月、自伝「死ぬまで、働く。」(すばる舎)を出版した。「すごいことは何もない。ただ仕事に誇りを持って働いてきただけ」。最初は本の依頼を断るつもりだったが、「看護は救いを求める人を手助けする、どんな時代にも必要な仕事。看護師の尊さを伝えられるなら」と引き受けた。タイトルとは裏腹に「周囲に迷惑はかけられない。体が思うように動かなくなれば辞める」と話す。「自分で考え、自分の道を歩いてきた。引き際も自分で決めたい」

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